その19 なぜ、鼻緒は真ん中か?

前回は、地下足袋から履物の話になったので、閉塞性と開放性と履物、ついでに鼻緒の位置について。

履物は足の甲の部分を覆っているかによって、閉塞性と開放性の二つに大きく分けられます。

もうちょっと詳しく解説すると、足を履物と固定する方法が違ってきます。

閉塞性の代表である靴は、甲被がその役目をしています。

開放性である、サンダルや草鞋は鼻緒がその役目をしています。

歩くときに曲がるのは、足首の関節(距腿関節)、中足趾節関節(MP関節)、足指の関節だけです。これらの動きを邪魔しないのが、開放性の履物になり、動きやすくてイイじゃんか? と思うのですが、ナゼ閉塞性の履物が生まれたのでしょう?

履物の起源は足の保護から始まったという説があります。寒い地域は閉塞性の履物、熱い砂から守るために開放性のサンダルが生まれたなどの説ですね。

しかし、古代エジプトでは、一般人は裸足でした。貴族や僧侶はサンダルを履き、また位の高さで装飾がちがっていたそうです。

寒い地域でも、毛皮は羽織っても、足下は裸足だったといいます。

必ずしも気候によって出現したのではないのです。わたしたちの足はそこまで弱くはなかったのです。

その3 靴の歴史

【結縛崇拝】という説がありますが、これが閉塞性の履物の答えかなと考えています。

入れ墨、イヤリング、鼻輪、首飾り、帽子・・・
なにかで身体を締め付け、包むことで外界からのなにかから身を守るという考えですね。

ウイルスという考えが無かった時代ですから、精霊とか悪霊などから身を守るという考えですかね。

神社のしめ縄も守る意味ですよね。

あとは、他民族との違いを強調したという説。

最初は動物と人。
次に民族間の違い。
そして、人と人との違い。今のファッションに通じるわけですね。

履物を調べていくと、

『あのときはどうかしていました』

的な靴が登場してます(笑)

中世ヨーロッパでは、先端を鋭く尖らせる靴プーレーヌが流行ったそうです。

長さを競って、先端を持ち上げてひざ下のガーターベルトで留めないといけない事態(笑)

「上品に細くとがった足は、労働をしない階級の証し」

と上流階級の中でブームがエスカレートしていったそうです。

最後には法令で禁止されて、世から消えたそうです。

ルネッサンス時代のヨーロッパで流行ったのがチョピン。

これも最初は高下駄?ぐらいだったのが、みるみる高くなっていき・・・竹馬状態に(笑)

人はこうやって、行き過ぎて初めて反省するんでしょうね(笑)

どうも閉塞性の靴は、歴史をみるとファッション的な要素が強いように感じられます。

さて、我が日本ではとてつもなく長い年数、一般人は開放性の履物を履いて過ごしていました。

田下駄にはじまり、下駄・草鞋・草履・足半・・・

ここで疑問に思うのが鼻緒の位置。

なぜ、鼻緒は真ん中か?
なぜ、サンダルのように右左用がないのか?

いろんな説がありますが・・・

ひとつは脱ぎ履きが楽なように。
確かに家に入るときは履物を脱ぎますが、いまいち説得力に欠ける。

草鞋や足半の製法からきているという説。
足指に芯縄をかけて藁を編むので、鼻緒が台の真ん中にくるため、ここから下駄も真ん中というらしい。

草鞋や足半はこの説でわかる気がしますが、下駄は穴を開けるだけなので、どうなんだろう?

と思ったら、こういう考察もありました。

「下駄は時々右左を替えて履くもんです。」

一般に下駄が普及したのは江戸時代といわれています。

その頃、草鞋が十二文だったのが、和紙で作った鼻緒の下駄が五十文、良いものでは百文したそうです。

庶民にはなかなか手が届かない高級品だったんですね。

しかし、それでも謎は残るような・・・真ん中から変わらなかったことに、なにか意味がありそうですね。
「下駄は時々右左を替えて履くもんです。」
以前聞いた話である。下駄、特に歯下駄を永く履いている人は分かると思うけれども、下駄の底や歯は妙な減り方をする。履く人のちょっとした癖の成せる業なのだろうが、内側の歯ばかりが減ったり、外側ばかりが減ったりする。右左を取り替えて履けば減り方が平均化するという訳である。しかし、これは鼻緒が中心にある理由ではなく、いわば副産物である。鼻緒が中心にあるが故に左右の下駄を交換できるのである。
 下駄屋の主人によれば、鼻緒が中心にあるのは次の理由である。
 鼻緒に紐をかけて吊るしてみる。下駄は真っ直ぐに鉛直にぶら下がる。もしも、鼻緒が右に又は左にずれているとしたらどうなるだろう。同じように紐をかけて吊るせば下駄は重心をとるために斜めにぶら下がる。高校の物理の授業を居眠りをせずに聞いていた人ならば理解できる事と思う。
 下駄や草履と靴との最も違う点は、足が履物に固定されていない事である。靴のように足と履物が一体になるのではなく、親指と人差し指で挟む鼻緒だけが足と履物を繋いでいる。歩けば踵は履物から離れるのが下駄、草履である。鼻緒を挟んで前に歩けば歩く方向に加速度が加わり、前述の紐で吊るした時と同じ状態になる。(これも物理の授業の範疇である。)指で挟んだ鼻緒を中心として回転力が働き、右の下駄は左に、左の下駄は右に、すなわち内側に振れることになる。つまり、歩くたびに下駄は内側に振れ、時としては反対側の足にぶつかる事になるのである。鼻緒が中心にある限り、緩い鼻緒で下駄らしくカランコロンと音を発てて歩いたとて、否走ったとて下駄は左右に振られることなく下駄と踵は同じ位置でくっ付いたり離れたりすることになる。下駄の鼻緒は力学的に考え抜かれた結果中心にあるようにも思われる。
 下駄の先祖とも云える弥生時代の田下駄もやはり鼻緒は中心にある。田下駄は水田で足が沈むのを防ぐために使われたもので、後世の下駄とは目的を異にするかもしれない。しかし、田下駄であろうと下駄であろうと力学的に作用する力は同じである。
 弥生時代の人々が田下駄を創る時に力学的な考察をしたのだろうか。万有引力の発見者(発見などしなくとも元から引力はあったのだけれども)ニュートンの生まれる1500年以上も前の事である。決してそんなことはなかっただろう。弥生時代の人達は自分達の最も使い易いように鼻緒を付けたに違いない。下駄屋の主人のいうような力学的に明快なウンチク等後で付けられたものである。

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